〜がんばり続けてきた女性へ贈る、やさしい処方箋〜
1. 「もう仕方ない」と思ってきた、その痛みへ
病院に通っても、薬を飲んでも、
なぜか完全には消えてくれない慢性的な痛み。
「年齢のせいかな」
「私が弱いからかな」
そうやって、長い間ひとりで耐えてきた方も多いのではないでしょうか。
実は、同じように慢性痛を抱える多くの方が、
誰にも言わずに「祈り」を大切にしていることがわかっています。
それは特定の宗教のためではなく、
「今日一日、なんとか乗り切れますように」
「この痛みが、少しでも和らぎますように」
そんな、静かで個人的な祈りです。
最近の研究では、この「祈り」が、
気休めではなく、体にちゃんと影響を与えていることが、少しずつ明らかになってきました。
2. 「痛みを消してください」と願うほど、苦しくなることもある
祈りは確かに力を持っています。
でも、実は祈り方によって、体の反応が変わることをご存じでしょうか。
たとえば、
「お願いだから、この痛みを取ってください」
と、すべてを外の力に委ねてしまう祈り。
これは一時的に安心感をくれますが、
心のどこかで「私は無力だ」という感覚を強めてしまうことがあります。
すると不安が増え、体はますます緊張し、
結果的に痛みが強く感じられてしまうこともあるのです。
一方で、体にやさしく働く祈りがあります。
「この痛みがあっても、今日を大切に生きる力をください」
「私の中にある回復する力を、信じさせてください」
このような祈りは、
自分の内側にある力を思い出させてくれる祈りです。
不思議なことに、
このタイプの祈りをしているとき、体は少しずつ落ち着き、
呼吸や心拍も整っていきます。
3. 「誰かの幸せを願う」と、体が楽になる理由
ここで、少し意外なお話をします。
実は、
自分の痛みのことばかり考えているときより、
誰かの幸せをそっと願っているときのほうが、
脳は痛みを感じにくくなることがわかっています。
たとえば、
- 同じように苦しんでいる誰か
- 家族や友人
- 名前も顔も知らないけれど、どこかで頑張っている人
その人の安らぎを、静かに思い浮かべる。
すると脳の中では、
「私はひとりじゃない」
「この痛みも、人生の一部として抱えていける」
そんな感覚が生まれます。
このとき脳は、
痛みを“敵”として扱うのをやめるのです。
4. 体の中で起きている、やさしい変化
誰かを思いやる祈りをすると、
脳の中では「天然の痛み止め」が分泌されます。
- 気持ちをふっと緩める物質
- 不安を和らげるホルモン
- 体を安心モードに切り替えるスイッチ
これらが一緒に働くことで、
痛みの信号が少し弱まり、
「さっきより楽かも」と感じる瞬間が生まれます。
これは「気のせい」ではありません。
体がちゃんと反応している、自然な仕組みです。
5. 「私だけが苦しい」という思いから、少し自由になる
慢性痛がつらいのは、
痛みそのもの以上に、
「どうして私だけ…」
という孤独感かもしれません。
でも、誰かの幸せを願うとき、
心は自然と外へ開いていきます。
「同じように、みんなそれぞれ何かを抱えている」
「それでも生きている」
そう感じられた瞬間、
痛みは「人生を壊す敵」ではなく、
人生の中にある一つの体験へと変わっていきます。
6. がんばりすぎる優しさには、注意してください
ひとつだけ、大切なことがあります。
利他の祈りは、
自分を犠牲にするためのものではありません。
「人のために祈っているんだから、
自分のつらさなんて我慢しなきゃ」
これは、体にも心にも負担になります。
まずは、
「私、よくここまで頑張ってきたね」
「痛いって感じていいよ」
そうやって、
自分自身をいちばん最初に抱きしめること。
その上で、
同じ世界で生きる誰かに、そっと祈りを向ける。
それが、体を本当に癒す祈りです。
7. 痛みを抱えたままでも、あなたは「与える側」になれる
慢性痛は、人を「守るだけの存在」にしてしまいます。
でも、利他の祈りは、あなたをもう一度、
「つながる存在」「与える存在」
へと戻してくれます。
誰かの幸せを願うことは、
あなた自身の体と心を、静かに整える行為です。
今日、ほんの数秒でいいのです。
「どこかの誰かが、少し楽でありますように」
その祈りは、
巡り巡って、あなた自身の体を包む
やさしい処方箋になるかもしれません。
静岡・沼津・三島・函南のこころねセラピー:秋山幸徳


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