静岡・沼津・三島・函南のこころねセラピーの秋山幸徳です。
「私は私、他人は他人」。
私たちは日常の中で、無意識のうちに世界をこのように分けて捉えています。
しかし、どれほど注意深く見つめ直しても、いついかなる時であれ、完全に単独で存在するものは何ひとつありません。
私たちの体、心、出来事、痛み、感情――そのすべては、必ず何かとの関係性の中で成り立っています。
この記事では、「あらゆるものは、それ以外のあらゆるものと関連している」という真実を、日常感覚に近い言葉でお伝えします。
1. 私たちの体は「単独」では成り立っていない
たとえば、呼吸。
私たちは「自分が息をしている」と感じていますが、実際には
- 空気があり
- 肺があり
- 血液が酸素を運び
- 細胞がそれを受け取る
という無数の連携が同時に起きています。
一つでも欠ければ、呼吸は成立しません。
体は最初から「関係性の集合体」として存在しているのです。
2. 心の状態も、環境と切り離せない
「気分は自分の問題」
「弱いのは心のせい」
そう思い込んでいる人は少なくありません。
ですが実際には、
- 人間関係
- 過去の体験
- 言葉のかけられ方
- 安心できる場所があるかどうか
こうした外側との関係性が、心の状態に大きく影響しています。
心もまた、単独で存在しているわけではないのです。
3. 痛みや不調も「孤立した敵」ではない
慢性的な痛みを抱えていると、
「この痛みさえなければ」
「私の体だけがおかしい」
と感じてしまうことがあります。
けれど、痛みもまた
- 緊張
- 我慢
- 不安
- 孤独感
- 生き方のクセ
といった心や生活との関係の中で現れているサインであることが少なくありません。
痛みは、体が単独で暴走しているのではなく、
「全体のバランス」を知らせている存在とも言えます。
4. 「私だけが頑張っている」という錯覚
責任感が強い人ほど、
- 私がやらなければ
- 私が我慢すれば
- 私が耐えれば
と、自分を孤立させてしまいます。
しかし本当は、
- 誰かの期待
- 社会の価値観
- 家族の役割
そうした見えない関係性の中で、そう振る舞わされてきただけかもしれません。
「単独で背負っている」と思っていたものは、
実は関係性の中で生まれた重荷だった、ということも多いのです。
5. 関連性に気づくと、責める相手がいなくなる
すべてがつながっていると理解し始めると、
- 自分を責める必要も
- 誰かを悪者にする必要も
少しずつ薄れていきます。
「こうなる理由があった」
「一人で起きたことではなかった」
その気づきは、心と体をゆるめる大きなきっかけになります。
おわりに
完全に単独で存在するものは、この世界にひとつもありません。
あなたの苦しさも、弱さも、痛みも、
孤立した欠陥ではなく、関係性の中で生まれた自然な結果です。
つながりに気づくことは、
「依存すること」ではなく、
「本来の全体性を思い出すこと」。
その視点を持つだけで、人生の重さは少し変わり始めます。


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