最近、理由ははっきりしないけれど、
「少し疲れたかもしれない」「前より余裕がないかも」
そんな感覚はありませんか。
何かを信じなくて大丈夫です。
前向きになろうとしなくて大丈夫です。
無理に強くならなくて大丈夫です。
ただ、
「少し楽になったかもしれない」
その小さな感覚があれば十分です。
それだけで、体と心は
ちゃんと回復に向かいはじめます。
※ ここから先は、
痛みや疲れを「気のせい」「年齢のせい」にしてきた方に向けて書いています。
「まだ大丈夫」と言い続けてきたあなたへ
痛みが続いている。
疲れが抜けない。
気力も落ちてきた。
それでも、
「このくらいで弱音を吐いてはいけない」
「もっとつらい人がいる」
そうやって、今日までやってきたのかもしれません。
でも、それは怠けていたからでも、
気持ちが弱かったからでもありません。
あなたの体は、ずっと踏ん張り続けていただけです。
体は、あなたの「ものの見方」に付き合ってきた
・ちゃんとしなきゃいけない
・迷惑をかけてはいけない
・自分のことは後回し
そんな「ものの見方」は、
生きるために必要だった時期もあります。
体はその見方を否定せず、
ずっと協力してくれていました。
緊張を高め、
気を張り、
守るモードを続けながら。
痛みは、敵ではありません。
守り続けた結果として残ったサインです。
少し緩んだとき、体に起きる変化
ある日、
呼吸が少し深くなった。
夜、ほんの少し眠れた。
帰り道が、いつもより静かだった。
そんな小さな変化のあと、
ふと、こんなことが起きることがあります。
なぜか、誰かの顔が浮かぶ。
連絡してみようかな、
元気かな、
どうしているだろう。
これは、特別なことではありません。
人に優しくなったのではありません
いい人になったわけでも、
性格が変わったわけでもありません。
体が「守るのをやめた」だけです。
自分を守ることで精一杯だった意識に、
ほんの少し余裕が戻った。
その結果、
意識が自然に外へ向きはじめただけ。
無理に利他的になろうとしなくていい。
自然に起きるものです。
昔から、そう呼ばれてきただけ
この感覚は、
昔は「愛」と呼ばれてきました。
宗教では「祈り」とも言われてきました。
でも本質は、
つながりが戻る感覚です。
何かを信じる必要はありません。
所属する必要もありません。
体が安全だと感じたとき、
人は自然に世界とつながり直します。
信仰ではなく、感覚の回復
ここで大切なのは、
何か特別な考え方を持つことでも、
新しい価値観を身につけることでもありません。
何を信じるか、何を信じないか。
その判断すら、今は必要ありません。
確認したいのは、とてもシンプルなことです。
・今、少しでも安心できているか
・ひとりで無理に踏ん張り続けていないか
・体が、ほんのわずかでも休めているか
それだけです。
人は、
安心できない状態では世界を感じ取ることができません。
体が緊張し続けているあいだ、
心も視野も、内側に閉じたままになります。
でも、体が少し緩むと、
まず呼吸が変わり、
次に感情の動きが戻り、
そのあとで、世界の見え方が変わってきます。
何かを理解したからではありません。
悟ったからでもありません。
体が安全だと感じた結果として、
心と世界が、静かに戻ってくるのです。
回復が始まると、起きやすい変化
体と心が少し緩みはじめると、
多くの人に共通して起きやすい変化があります。
それは、
意識が自分の内側だけでなく、外にも向き始めることです。
痛みや不安が強いあいだ、
人の意識は「自分を守ること」に集中します。
それは生き延びるために、とても自然で大切な反応です。
けれど、体がほんのわずかでも安全だと感じ始めると、
守るために使っていた力が、少しだけ余ります。
そのとき、ふとした瞬間に起きることがあります。
・誰かの顔が浮かぶ
・「元気かな」「どうしているだろう」と思う
・連絡してみようかな、と感じる
これは、特別な能力でも、精神的な成長でもありません。
体と心が、ようやく回復の段階に入ったサインです。
誰かを思えるようになるのは、
弱くなったからではありません。
我慢ができなくなったからでもありません。
ずっと張りつめていた緊張が、
ほんの少しだけ緩んだ結果として、
意識が自然に外へ向き始めただけです。
誰かのことを思える。
誰かの幸せを、ほんの一瞬でも願える。
それは、
あなたの中にある回復する力が、ちゃんと働き始めている証拠です。
ちゃんと、戻る力はありました。
そしてその力は、今もあなたの中で、静かに続いています。
次に起きやすい、もう一つの変化
誰かのことを思えたあと、
多くの方に、もう一つ共通して起きやすい変化があります。
それは、
「自分のためだけでなく、誰かのために何かしたい」という
ごく静かな感覚です。
無理に役に立とうとする気持ちではありません。
立派なことをしようとする思いでもありません。
ただ、
誰かが少し楽になりますように、
うまく言えないけれど、そう願う感覚。
それは、自己犠牲でも、綺麗ごとでもなく、
体と心が安全な場所に戻りはじめたとき、自然に立ち上がる感覚です。
この感覚は、
人が回復の途中で自然に通る、ごく人間的な変化でもあります。
こころねセラピーについて
こころねセラピーでは、
無理に前向きにさせることはしません。
何かを信じさせることも、
考え方を変えさせることもありません。
ただ、
体が緩み、
本来の感覚が戻る過程を、
静かに支えています。
もし今、
少し話してみたいと思えたなら、
それも自然な流れです。
あなたのペースで、大丈夫です。
静岡・沼津・三島・函南のこころねセラピー:秋山幸徳


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