こんにちは。静岡・沼津・三島・函南のこころねセラピーの秋山幸徳です。
―「量」だけで測れない、こころの話―
「もっと成果を出さなきゃ」
「人より劣っている気がする」
「私は、ちゃんと生きられているんだろうか」
こころねセラピーに来られる方の多くが、こんな思いを抱えています。
その根っこにあるのは、人生の価値を“見えるもの”だけで測ろうとしてしまう癖です。
今日は、セラピストとして日々感じている
「人生の価値は、何で決まるのか」というテーマをお話しします。
人はなぜ「見えるもの」だけを基準にしてしまうのか
私たちは、数字で表せるものにとても安心します。
- 売上や営業成績
- テストの点数や偏差値
- 年齢、収入、肩書き
これらはすべて「量」です。
量は比較でき、評価しやすく、他人と並べやすい。
だからこそ私たちの脳は、
「見えるもの=信頼できるもの」
と錯覚しやすいのです。
ビジネスの世界で言われる「見える化」も、
本来はとても有効な手法でしょう。
けれど――
人生そのものを、すべて見える化することはできません。
「量」では測れないものが、人生には確かにある
ここで、ひとつイメージしてみてください。
大きな赤いボールAと、小さな赤いボールBがあります。
見た目で「大きいのはどちら?」と聞かれたら、Aと答えられます。
「赤が濃いのは?」と聞かれたら、Bでしょう。
では、
「どちらが重いですか?」
と聞かれたらどうでしょうか。
実際に持ってみるか、量ってみなければわかりません。
👉 重さは、目には見えないけれど、確かに存在する基準です。
人生も同じです。
私たちは、
- 目に見えるもの(量)
- 目に見えないもの(質)
その両方に囲まれて生きています。
「量」だけで人を見たとき、何が起こるのか
以前、ワークショップに母娘で参加された方がいました。
お母さんは、娘さんの性格や成績をとても心配されていて、
休憩中、私にこう言われたのです。
「あの子、ダメでしょう?」
私は正直、何がダメなのかわかりませんでした。
娘さんは、楽しそうにワークに参加し、周囲とも自然に関わっていました。
けれどお母さんは、
- 志望校に落ちた
- 成績がよくない
と、目に見える評価だけを基準に、
娘さんを「ダメ」と決めつけていたのです。
思わず私はこう伝えました。
「娘さんをダメだと決めているのは、お母さんの概念です。
ダメだと言い続ければ、人は本当にダメになってしまいます。」
「量」だけで人を測ると、
その人が本来持っている質が、完全に見えなくなってしまいます。
人生の価値は「量」か「質」か?
寿命で測る人生は「量」
70歳で亡くなった人
73歳で亡くなった人
どちらが長生きかは、数字ですぐにわかります。
これは「量」の基準です。
健康は「質」の問題
でも、
73歳まで生きても、長年寝たきりだった人
70歳でも、前日まで元気だった人
どちらが「健康だった人生」でしょうか。
血圧や数値が正常でも、
「自分は健康だ」と感じられない人もいます。
👉 健康は、感じ方=質の問題です。
お金は「量」、幸せは「質」
お金持ちのAさん
あまり裕福でないBさん
どちらがお金を持っているかは明確です。
でも、どちらが幸せかは、誰にも決められません。
幸せは、数字では測れないからです。
「質」は、他人が決めるものではない
人生の「量」は、他人と比較できます。
でも、人生の「質」は――
- 心が満たされているか
- 自分を大切にできているか
- 生きていてよかったと感じられるか
これらはすべて、自分にしかわからないものです。
だからこそ、
人生の質をジャッジできるのは、自分だけ
なのです。
こころねセラピーが大切にしている視点
こころねセラピーでは、
「もっと頑張りましょう」
「もっと成果を出しましょう」
とは言いません。
それよりも、
- あなたは今、どんな感覚で生きていますか
- 心と体は、安心できていますか
- 本当は、何を感じていますか
そんな**“質の部分”**に意識を向けていきます。
多くの方は、
「人生には質がある」ということ自体を、
これまで教わってきませんでした。
でも――
一度その存在に気づき、体感できると、
人生の見え方は大きく変わります。
人生の価値は「量」だけでは決まりません
もしあなたが今、
- 数字で評価されることに疲れている
- 自分の価値がわからなくなっている
- 頑張っているのに、満たされない
そんな状態にいるなら、
それはあなたが劣っているからではありません。
「質」に目を向ける視点を、まだ知らないだけなのです。
人生には、確かに「質」があります。
そして、その質を感じ、育てていく力は、
あなたの中に、最初から備わっています。
こころねセラピーは、
そのことを思い出すための場所です。


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